憲法9条Q&A

「山梨9条の会」は、日本国憲法第9条を守るため、「9条の会」の「アピール」に賛同し、これを山梨県内に広めることを目的としています。

憲法9条Q&A

Q憲法9条は、一切の軍備を認めていないとする解釈と、「専守防衛」以外の戦力行使を認めていないとする解釈、そして、集団的自衛権までも認めているとする解釈など、さまざまに解釈されていますが、それはなぜですか?

A日本国憲法の前文は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」して、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」したと宣言しています。これは、日本の中国侵略、傀儡(かいらい)国家「満州国」設立から始まり、広島・長崎の原爆で終った15年戦争で現地の人々や日本国民に多大な苦痛と犠牲をもたらしたことを深く反省した結果の選択でした。
この理想を国際社会で率先して実現するために、憲法9条1項は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めたのです。

日本の平和主義を重視する立場の学者の間でも、この条文の中の「国際紛争を解決する手段としては」の意味をめぐって、軍事力を全面放棄したとする説と限定的に放棄したとする説の対立があります。

憲法を含む法律の条文は、文字通りの意味以外の解釈の余地があり、また、それが必要な場合があります。例えば、憲法21条は、「一切の表現の自由」を保障していますが、実際には、他人を誹謗中傷する表現や差別的発言は、この表現の自由の中に入らないと解釈されています。同じように、憲法9条の規定も、その置かれた文脈や70年にわたる歴史的変化などを踏まえて、複数の解釈がありうるのです。

しかし、2014年7月に安倍政権が閣議決定した、集団的自衛権も含まれるとする解釈は、明らかに従来の政府解釈から大きく逸脱するものであり、これまで築いて平和国家日本という国際社会の期待に根底から背くもので、決して許容されるものではありません。

Q憲法9条2項では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書いてありますが、自衛隊の存在そのものが、この9条2項に違反しているのではないですか?

A日本国憲法を制定した時点では、国連軍による国際平和の維持に強い期待がありました。しかし、朝鮮戦争や東西冷戦という現実の中で、この理想は当面実現不可能となってしまいました。 自衛隊の創設やその後の増強については、必ずしも日本国民の安全だけが目的ではないという疑問もありましたが、現在国民の間では、「専守防衛」に徹する限り、自衛隊の存在は認めるという意見が多いように見うけます。9条2項だけを読むと、たしかに自衛隊の存在は認められないと解釈されますが、2014年7月に解釈改憲をする以前の歴代の日本政府は、国外からの急迫不正の侵害があった時に、どうしても必要だという場合に限り、侵害と均衡のとれる範囲での個別的自衛行為は許されるであろう、そして、その範囲での自衛権を保持することは、憲法でも認められていると解釈してきました。

私たちの9条の会のメンバーの中でも、この解釈については、必ずしも意見が完全に一致しているとは言えません。でも、少なくとも、「専守防衛」としての自衛権行使の枠を越えた軍事活動が許されないということでは、皆が同じ考えを持っています。

Qそうは言っても、いずれかの日本に敵対的な国が、万一、日本に攻め込む具体的準備をしているようなケースには、これを防ぐ「自衛」のために、先制行動として、これをたたくことは考えられないのですか?

A私たちは、現行憲法がそれを許しているとは思いません。これまで、戦前戦中の日本を含めて多くの国は、「自衛のため」を口実に侵略戦争を開始しました。日本の朝鮮や中国への侵略も、いつも、それが日本の生命線であることを理由としてきました。
安部首相は戦後70年談話で、「日露戦争は、植民地支配の下にあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と、日本の過去の戦争を肯定的に評価してみせました。だが、この日露戦争も、自衛のための戦争ではなく、日露両国間の朝鮮半島や中国大陸での覇権をめぐる争いであったことは、歴史的に明確になっています。

QIS(いわゆる「イスラム国」)の暴虐な行動を抑えるために有志連合が行っている空爆などの戦いを後方支援することは、国際平和のために必要なことではないのでしょうか?

Aたしかに、マスコミが伝えるISの野蛮な行為は許しがたいと感じます。しかし、これを止めさせるために行われている空爆によって、アラブの罪のない多くの人々が巻き添えとなっています。相手は変幻自在に拠点を変えることができます。そして、有志連合が国外から過激派を力で押さえつけようとする空爆は、アラブの人々全体に対する攻撃と受け止められてしまい、それだけ、アラブの若者の心がISに傾くことになるのです。
ISといっても、パリでテロを起した、先進国の都市の底辺で差別されて鬱屈している若者と、シリアやイラクのIS支配地域で軍事活動に加わっている若者は、かなり違います。ISの拠点を攻撃しても、世界各地のテロが治まることはありません。

日本が急いでやらなければならないのは、現代世界の混迷の原因となっている貧困と差別をなくすための活動です。そして、こちらの方が有効な対策だと思います。
まず、シリア内戦が収束するように国際的働きかけを強めること、戦乱で痛めつけられている人々に安住の場所を提供すること、この地域の子どもの教育や福祉にさまざまな形で協力すること、こうした活動こそ、ISの根拠をなくし、その力を弱めていくのだと思うのですが。

Q憲法9条2項後段にある「国の交戦権は、これを認めない」という場合の、「交戦権」というのは何のことですか?

Aこれについては、「戦争をする権利そのもの」とする説と、「交戦国が戦時国際法上もつ権利」と解する説があります。
「戦時国際法」というのは、例えば、戦争状態に伴う戦闘の中で捉えられた捕虜の扱いとか、病院船を攻撃してはならないことなど、戦争の時でもそれなりのルールが守られるべきだとする考え方から国際間で明文化されているルールです。現在の国連憲章では、法的には「戦争」は存在しないことになっているので、「武力紛争法、国際人道法」という呼び方がされています。

そこで、9条全体の解釈からすると、後者の説の方が、この規定がおかれている意味がはっきりすることから、より適切だと考えられます。具体的には、戦時禁制品を交戦相手国に輸送する中立国の船舶を停止させて臨検検査することなど一定の措置をとることが交戦権行使と考えられます。

ところが、いわゆる戦争法=安全保障法制整備法の一部である「重要影響事態法」では、例えば、中東やアフリカでの戦闘をしている米軍等に、自衛隊等は、
①物品やサービスの供与
②戦闘行為で遭難した者の捜索、救助、輸送等の実施
③船舶検査法による船舶検査活動=臨検検査をすることができるとされています。

敵方に武器や物資を輸送する船を止めて検査することは、戦時国際法上は交戦権の行使と理解されていますから、憲法9条2項後段に明らかに違反することになります。

Q「集団的自衛権」と「個別的自衛権」はどのように違うのでしょうか?

A同じく「自衛権」という言葉が使われていますが、両者は全く違った文脈で出てきたものです。主権国家が「自衛権」を持っていることは誰もが否定しません。もっとも、この場合に、それが軍事力を含むのか、外交的手段などの平和的手段を意味するかは、立場により異なります。

これに対して、「集団的自衛権」は国連憲章51条の制定過程で意図的に規定に入れられた考え方で、その実体は「攻守同盟」、つまり、同盟国が他国と戦闘状態になった場合に、援護のために武力行使をする約束です。もともとは国連軍による平和維持を前提に考えられていた第二次世界大戦後の国際社会のあり方が、米ソ冷戦で破綻したことを踏まえて、緊急権として規定されたものです。

国連憲章51条は次のように定めています。「この憲章のいずれの規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」。 
この条文の成立には国連成立とその執行機関である安保理事会の権限に関する関係各国間の複雑な交渉の経過がありますが、確認しなければならないのは、これが個別的自衛権の延長上にある「権利」ではないということです。本来は例外的事態での緊急権であるはずの条文が、大国によって拡大解釈されてきた経過を知る必要があります。

例えば、1979年のソ連によるアフガン侵攻でも集団的自衛権行使が口実となりました。ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン介入など、アメリカの戦争は総てこの集団的自衛権を口実に始まったのです。国連憲章51条の拡大解釈で、集団的自衛権が乱用されている現状をきちんと見る必要があると思います。国際司法裁判所は、この「集団的自衛権」行使が認められる場合を、攻められている国からはっきり要請があった場合と、かなり限定的に解釈しています。

Q憲法9条の解釈として、集団的自衛権まで認めるという新解釈を安倍内閣は閣議決定し、安倍首相が任命した横畠内閣法制局長官は、これを適法であると国会答弁しています。この解釈改憲をめぐる国会論議で、安倍首相は、「憲法解釈変更の最高責任者は私だ」と答弁しました。2015年9月に国会はこの解釈を前提にした新安保法制を可決・成立させました。それでは、合憲違憲を最終的に決めるのは誰なのですか?

A現行憲法81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と定めています。
フランスなどには、議会が制定した法律が憲法に適合しているかどうかという抽象的訴えを裁断する「憲法裁判所」がありますが、日本はアメリカにならって、憲法裁判所を設けないシステムを採用しました。そして、通常裁判所でも、法律そのものが合憲か違憲かという抽象的訴えは認めず、具体的裁判の中でそれを判断する必要がある時に、違憲審査を行うという運用をしています。

今回の戦争法(安全保障法制)についても、すでに全国でこれを違憲だとする訴訟が提起されていますが、裁判所が具体的権利利益をめぐる争いであると認めて違憲性に関する判断をするかどうか、成り行きが注目されます。

Q憲法9条の精神を積極的に生かすために改憲を考えようという「新9条論」が、これまで護憲を主張してきた人々から提案されていますが、どう考えたらいいのでしょうか?

Aこれまで1946年に制定された日本国憲法は一度も改訂がなされていません。従来、改憲は、憲法9条が軍事力保持・増強の邪魔になると考える人々から主張されていましたが、ここにきて、護憲の立場に立つ人々から、9条を新たな姿に変えて、より積極的に平和国家の理念を進めようという提案が相ついでいます。文芸評論家加藤典洋さんは、

①戦争と武力行使は永久に放棄する
②陸海空の戦力は一部を国土防衛隊、残りは国連の待機軍とし、交戦権を国連に移譲する
③外国の軍事基地は許可しない、
などの内容を提案しています(『戦後入門』ちくま新書)。

他にも、自衛隊の存在と個別的自衛権を明確にするという評論家田原総一郎さんの提案、日米地位協定を改め、在日米軍基地が日本以外での武力行使に使われないようにして、個別的自衛権を明確にし、この行使を日本の施政権の範囲内に限定するという東京外大教授伊勢崎賢治さんの提案、映画作家の想田和弘さんの「集団的自衛権は認めない」と明確に規定するという提案など、さまざまな提案があります。

各々の意図するところはよく分りますが、次のような疑問もあります。

①条文と現実が合わなくなったので一定程度現実を認める条文にするという提案は、さらに現実を一歩進めてしまう可能性を持っていること。
②これまでの憲法9条の規定が持っていた法的安定性と継続性を損なうのは得策ではないということ。元最高裁長官や歴代の法制局長官が、集団的自衛権を認める解釈改憲に厳しい批判をしているのは、そのためです。
③これらの提案は、憲法9条の規定が力を失っていることを前提にしてなされていますが、安倍政権やその周辺に改憲論が強いのは、憲法9条のルールとしての力が健在であることを示しているのではないかとも考えられること。
④提案している方々は真摯な思いで平和主義を強めるように願っていると信じますが、この論議を逆手にとって、具体的な軍事優先の改憲の動きが加速される心配があること。

私たちは、「新9条論」が提案された意味をこれからの活動の中でよく考える必要は認めますが、当面は現行規定を守り続けることが重要であると考えています。

Q安倍首相に近い改憲派は、改憲が必要な理由として、新憲法が「アメリカから押し付けられたものだ」から「自主憲法が必要だ」いう主張をしていますが、これをどう考えたらいいのでしょうか?

Aたしかに、新憲法制定の経過の中には、日本政府が用意した憲法案を占領軍GHQ側が拒否し、その後曲折を経て現在の憲法が制定されたという事実があります。ここで知っておかなければいけないのは、日本が太平洋戦争終結にあたって受け入れた「ポツダム宣言」の第10項に「日本政府は日本国人民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし」という文言が入っていることです。これは、GHQが一方的に民主主義を押し付けたのではなく、日本にもともと存在した民主主義の種を育てる意図を持っていたということです。

ところが、新憲法制定にあたって、日本政府側が最初にGHQ側に示した案は、明治憲法をほんの少しだけ手直しした、民主主義とはほど遠い内容でした。1946年2月1日にこの内容が新聞のスクープで知られると、あまりのレベルの低さに国民の間に失望が広がると同時に、GHQとしても、何らかの対応を迫られることになりました。
そこでGHQ総司令官マッカーサーは、

①天皇制は維持する
②戦争放棄の条項を入れる
③封建制を廃止する

という3原則を含む「マッカーサー・ノート」を日本政府に示しました。これに日本政府側は大いに驚きましたが、その際に、GHQ側の交渉の責任者であったホイットニーは、「これをあなた方に押し付けるつもりはないが、このあたりが国際水準の最低限であろう。国際世論を考慮しつつ、せめてこの程度の民主憲法草案を用意してもらいたい。どうしても嫌ならそれでもいいが、その時には、政府案とGHQ案の双方を国民に示して、どちらがいいか国民に決めてもらう」と提案しています。

この経過そのものを「押し付け」というならば、国民に押し付けたのではなく、旧体制をそのまま維持しようとしていた当時の日本政府に押し付けたのです。実際に、当初の政府案にあった明治憲法的天皇制と、GHQ草案にある象徴天皇制のどちらを支持するかという世論調査では、当時の日本国民の85%までが、象徴天皇制を支持しています。

その後、GHQ内部での「GHQ草案」作成にあたっては、鈴木安蔵ら日本の民間研究者などで構成された「憲法研究会」が明治時代前半の自由民権運動の中で国民が作った憲法草案をもとに作成した憲法案などが参考にされました。だから、かなり短い期間に憲法案がまとまったのです。
さらに、この憲法案は、1946年4月に女性も参政権をもって選ばれた衆議院で審議され、学界を代表するような議員も議席をもっていた貴族院でも審議されました。国会審議の過程では、生存権の挿入など重要な修正も行われました。このように、現行憲法は、決して一方的に押し付けられたのではなく、むしろ、国民が主体的に選び取ったと言ってもいいのではないでしょうか。(この項目の記述には、河上暁弘『平和と市民自治の憲法理論』(2012年)を参考にしました。)

Qでは、憲法9条は、どのような過程を経て新憲法に規定されることになったのですか?

A当時の日本政府が示した当初の草案には、当然ながらこの規定は入っていません。この草案が余りにも明治憲法に近いものであるとして、GHQ総司令官マッカーサーが示した「マッカーサー・ノート」には「戦争放棄の条項を入れる」ことが示唆されています。

これだけを見ると、やはり押し付けではないかとなりそうですが、最近の研究から、この戦争放棄の提案者が1946年当時の日本の首相であった幣原喜重郎であるとする見解が憲法学者の間で通説となっていることを確認しておきたいと思います。幣原がこれをGHQ側に伝えたのは、1946年1月24日のマッカーサーとの会談の場でした。

幣原首相がこの提案をした理由については、日本も批准した1928年の不戦条約で戦争が違法であるとされていることも背景にあると思いますが、最大の理由は、15年戦争の中で日本の指導部が国民を騙して無謀な戦争遂行に協力させ、その結果として大きな惨禍を国民にもたらしたことへの政治指導者としての反省であったと考えます。

↑このページのトップヘ