1 これまでの自民党案とは違う提案
2017年5月3日、安倍首相は突然、「現在の憲法9条1,2項に自衛隊の存在を書き加える」という「加憲」案を言い出しました。安倍首相は憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せて、次のような見解を示しました。
①憲法改正は自民党の立党以来の党是であるが、施行後70年一字も変わっていないので、ここで歴史的使命を果たしていきたい。
②東京五輪が開催される2020年は、日本が生まれ変わるきっかけにすべきで、この2020年を新しい憲法が施行される年にしたい。
③「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論の余地をなくすべきで、憲法9条1,2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む考え方は国民的な議論に値する。
これまでの自民党内の改憲論では、9条2項を削除し、そこに
「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」
とした上で、9条の2という新しい条項を新設し、
「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」
「国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、・・・国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」
「国防軍に属する軍人・・・がその職務の実施に伴う罪・・・を犯した場合の裁判を行うために、・・・国防軍に裁判所を置く」
など、明確に旧日本軍に相当する軍隊を設置することになっていました。
ところが、今回の安倍提案は、どこでどのような議論があったのかはっきりしないまま、突如として行政府のトップである安倍首相のメッセージとして出てきました。憲法改正の発議は立法府である国会の権限で、行政府のトップである首相が言い出すのはおかしいし、自民党総裁としてとしても、党内できちんとした論議がなされたようには見えません。
全く独断でのスタンドプレーとしかいいようもないのですが、これを近く行われる衆議院選挙の争点の一つとして「国民の賛同があった」ということにしたいのです。
2 自衛隊書き加えは法的にあり得ない
2014年7月1日に安倍内閣が「集団的自衛権の行使を容認する」という解釈改憲をする以前の内閣法制局が繰り返してきた「政府見解」では、「他国による不法な軍事侵略があった場合、これを防ぎ、排除するための必要最小限度の実力としての自衛隊は合憲である」としてきました。
もともとの考え方は、こうした不正な侵略は国際社会が許さないというところにありましたが、その後の国際社会の混乱のなかで、最低限の実力だけは保持することが許されるという解釈をして、1954年に自衛隊が創設されたのです。
その後、アメリカに追従する歴代政府の方針で、実際には世界でも有数の装備と実力を備えた存在にふくれあがって来ています。
国民の中には、「すでに60年以上にわたって存在し続けてきた自衛隊を憲法に加えてもいいのでは」という素朴な肯定論があると思います。だが、合憲解釈がありうるということと、それを実際に書き込むこととは大きな違いがあります。
それは、憲法のもつ規範(ルール)としての力です。法律というものは多かれ少なかれ、現状から実態が離れることを防ぐ力を持っています。刑法に「窃盗罪」が規定されているのは、万引きのように、ふとした心の迷いで他人のモノを盗りたくなるという人の心に、
「それは犯罪で、犯せば処罰されるよ」
と警告を発する力を持っているからです。
これと同じように、自衛隊が合憲だとしても、「専守防衛のために必要な最小限の実力」でしかありえないという警告をいつも発し続けてきたからこそ、これまで自衛隊は創設以来どこの国も侵略せず、どこの国の人も殺さなかったのです。
また、この憲法の規定があるということで、アメリカが要求してきた軍事的国際貢献を断ることができたのです。
ところが、憲法に自衛隊をなんらかの形で書き込むと、この「専守防衛のために必要な最小限の実力」にとどまるという、規範としての力が消えてしまいます。結果的には、「普通の国の軍隊」という名の下でアメリカの要求するさまざまな軍事的活動に動員されるようになり、日本が軍事紛争に巻き込まれる可能性が高くなります。
3 自衛隊書き加えは危ない
それでは、具体的にはどのように条文化しようとしているのでしょうか。
今年6月自民党の憲法改正推進本部は「今後の論議のたたき台」として、次のような案を示しています。
「9条の2第1項 前条(現行憲法第9条のこと)の規定は、我が国を防衛する最小限の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。 9条の2第2項 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。」
高見勝利先生は、次の二つが可能性として考えられるとしています。
①「前項の規定(9条2項のこと)は、必要最小限の実力として自衛隊の設置を妨げるものではない」 ②「わが国は、固有の自衛権に基づき、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛隊を設置する」
これに対して、渡辺治先生は次のような書きぶりになるのではないかとしている。
「日本の平和と独立を維持するため、自衛隊を保持する。自衛隊は、国際社会の平和と安全を維持するための活動に参加する」
高見先生の②案、渡辺先生案ともに、2014年に閣議決定した「集団的自衛権行使」に根拠がはっきり与えられることになります。そこで、国民に抵抗が少ない高見先生①案が有力になります。
では、これなら問題はないのでしょうか?
たしかに、命がけで活動している自衛隊員に憲法上の根拠ぐらいは与えてもいいのではとも考えられますが、一度しばりを緩めると、どこまでも拡大していくのが法解釈という魔術です。
「憲法に規定してあるのだから」という理由で、海外軍事派兵、他国軍との共同作戦、すでに自民党内で検討されている「敵基地先制攻撃論」など、歯止めが利かなくなります。
その結果として、9条2項は空文となり、憲法前文が日本国民の国際社会に対する誓約として謳っている「国際平和主義」も意味がなくなってしまうことになります。
大きな問題は現行憲法9条2項との整合性がとれるかということです。
現政権が2年前に強行成立させた安保法制の中で、国が「重要影響事態」と「存立危機事態」と認定した場合に、他国の船を「臨検検査」できるとしていますが、これは9条2項が、「国の交戦権は、これを認めない」と定めている「交戦権」の行使そのものです。
「交戦権」というのは、「戦争する権限」という意味と、「戦争という事態になった場合に国際法上交戦国に認められている権限」という二つの解釈があり、後者が妥当と考えられています。
その権限の一つとして、中立国の船舶などが敵国に軍事物資などを輸送している場合に、これを停止させて検査し、搬入を阻止することが認められてきました。
「臨検検査」は、まさに9条2項が禁じている「交戦権の行使」そのものにあたります。このように、言葉の上では、「これまでの政府解釈を条文化しただけ」と言えても、実際には9条2項の規定とのバッティングは避けられないのです。
2014年7月の解釈改憲で集団的自衛権としての実力行使をすることになった自衛隊を憲法に書き加えることは、ますます自衛隊の活動に限定がなくなるきっかけになるに違いありません。これは極めて危険なことです。「従来の政府解釈を条文化するだけ」という言葉にごまかされることなく、来るべき選挙では現政権を打倒する方向で選挙権を行使するように強く呼びかけます。
2017年5月3日、安倍首相は突然、「現在の憲法9条1,2項に自衛隊の存在を書き加える」という「加憲」案を言い出しました。安倍首相は憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せて、次のような見解を示しました。
①憲法改正は自民党の立党以来の党是であるが、施行後70年一字も変わっていないので、ここで歴史的使命を果たしていきたい。
②東京五輪が開催される2020年は、日本が生まれ変わるきっかけにすべきで、この2020年を新しい憲法が施行される年にしたい。
③「自衛隊が違憲かもしれない」などの議論の余地をなくすべきで、憲法9条1,2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む考え方は国民的な議論に値する。
これまでの自民党内の改憲論では、9条2項を削除し、そこに
「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」
とした上で、9条の2という新しい条項を新設し、
「我が国の平和と独立並びに国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」
「国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、・・・国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」
「国防軍に属する軍人・・・がその職務の実施に伴う罪・・・を犯した場合の裁判を行うために、・・・国防軍に裁判所を置く」
など、明確に旧日本軍に相当する軍隊を設置することになっていました。
ところが、今回の安倍提案は、どこでどのような議論があったのかはっきりしないまま、突如として行政府のトップである安倍首相のメッセージとして出てきました。憲法改正の発議は立法府である国会の権限で、行政府のトップである首相が言い出すのはおかしいし、自民党総裁としてとしても、党内できちんとした論議がなされたようには見えません。
全く独断でのスタンドプレーとしかいいようもないのですが、これを近く行われる衆議院選挙の争点の一つとして「国民の賛同があった」ということにしたいのです。
2 自衛隊書き加えは法的にあり得ない
2014年7月1日に安倍内閣が「集団的自衛権の行使を容認する」という解釈改憲をする以前の内閣法制局が繰り返してきた「政府見解」では、「他国による不法な軍事侵略があった場合、これを防ぎ、排除するための必要最小限度の実力としての自衛隊は合憲である」としてきました。
もともとの考え方は、こうした不正な侵略は国際社会が許さないというところにありましたが、その後の国際社会の混乱のなかで、最低限の実力だけは保持することが許されるという解釈をして、1954年に自衛隊が創設されたのです。
その後、アメリカに追従する歴代政府の方針で、実際には世界でも有数の装備と実力を備えた存在にふくれあがって来ています。
国民の中には、「すでに60年以上にわたって存在し続けてきた自衛隊を憲法に加えてもいいのでは」という素朴な肯定論があると思います。だが、合憲解釈がありうるということと、それを実際に書き込むこととは大きな違いがあります。
それは、憲法のもつ規範(ルール)としての力です。法律というものは多かれ少なかれ、現状から実態が離れることを防ぐ力を持っています。刑法に「窃盗罪」が規定されているのは、万引きのように、ふとした心の迷いで他人のモノを盗りたくなるという人の心に、
「それは犯罪で、犯せば処罰されるよ」
と警告を発する力を持っているからです。
これと同じように、自衛隊が合憲だとしても、「専守防衛のために必要な最小限の実力」でしかありえないという警告をいつも発し続けてきたからこそ、これまで自衛隊は創設以来どこの国も侵略せず、どこの国の人も殺さなかったのです。
また、この憲法の規定があるということで、アメリカが要求してきた軍事的国際貢献を断ることができたのです。
ところが、憲法に自衛隊をなんらかの形で書き込むと、この「専守防衛のために必要な最小限の実力」にとどまるという、規範としての力が消えてしまいます。結果的には、「普通の国の軍隊」という名の下でアメリカの要求するさまざまな軍事的活動に動員されるようになり、日本が軍事紛争に巻き込まれる可能性が高くなります。
3 自衛隊書き加えは危ない
それでは、具体的にはどのように条文化しようとしているのでしょうか。
今年6月自民党の憲法改正推進本部は「今後の論議のたたき台」として、次のような案を示しています。
「9条の2第1項 前条(現行憲法第9条のこと)の規定は、我が国を防衛する最小限の実力組織として自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。 9条の2第2項 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。」
高見勝利先生は、次の二つが可能性として考えられるとしています。
①「前項の規定(9条2項のこと)は、必要最小限の実力として自衛隊の設置を妨げるものではない」 ②「わが国は、固有の自衛権に基づき、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛隊を設置する」
これに対して、渡辺治先生は次のような書きぶりになるのではないかとしている。
「日本の平和と独立を維持するため、自衛隊を保持する。自衛隊は、国際社会の平和と安全を維持するための活動に参加する」
高見先生の②案、渡辺先生案ともに、2014年に閣議決定した「集団的自衛権行使」に根拠がはっきり与えられることになります。そこで、国民に抵抗が少ない高見先生①案が有力になります。
では、これなら問題はないのでしょうか?
たしかに、命がけで活動している自衛隊員に憲法上の根拠ぐらいは与えてもいいのではとも考えられますが、一度しばりを緩めると、どこまでも拡大していくのが法解釈という魔術です。
「憲法に規定してあるのだから」という理由で、海外軍事派兵、他国軍との共同作戦、すでに自民党内で検討されている「敵基地先制攻撃論」など、歯止めが利かなくなります。
その結果として、9条2項は空文となり、憲法前文が日本国民の国際社会に対する誓約として謳っている「国際平和主義」も意味がなくなってしまうことになります。
大きな問題は現行憲法9条2項との整合性がとれるかということです。
現政権が2年前に強行成立させた安保法制の中で、国が「重要影響事態」と「存立危機事態」と認定した場合に、他国の船を「臨検検査」できるとしていますが、これは9条2項が、「国の交戦権は、これを認めない」と定めている「交戦権」の行使そのものです。
「交戦権」というのは、「戦争する権限」という意味と、「戦争という事態になった場合に国際法上交戦国に認められている権限」という二つの解釈があり、後者が妥当と考えられています。
その権限の一つとして、中立国の船舶などが敵国に軍事物資などを輸送している場合に、これを停止させて検査し、搬入を阻止することが認められてきました。
「臨検検査」は、まさに9条2項が禁じている「交戦権の行使」そのものにあたります。このように、言葉の上では、「これまでの政府解釈を条文化しただけ」と言えても、実際には9条2項の規定とのバッティングは避けられないのです。
2014年7月の解釈改憲で集団的自衛権としての実力行使をすることになった自衛隊を憲法に書き加えることは、ますます自衛隊の活動に限定がなくなるきっかけになるに違いありません。これは極めて危険なことです。「従来の政府解釈を条文化するだけ」という言葉にごまかされることなく、来るべき選挙では現政権を打倒する方向で選挙権を行使するように強く呼びかけます。